9月新学期制という愚行。

コロナ禍で休校が続いていることの補填およびこれを良きキッカケとした、9月1日に年度をスタートさせる案が浮上している。
理由は主に、海外に多い9月新学期制に合わせて、海外校への進学や日本への留学などを促進させたい、ということだ。
(それ以外の理由は無い。)

これは、大きな愚策だ。

桜の時期と卒入学の時期を同じくする日本文化の破壊、という情緒的な理由を持ち出さなくとも、例えばわかりやすい下記のデメリットがある。

・そもそも、コロナ禍による学校の遅れとは切り離して考えるべき。
・会計年度他、様々な日本文化の時間軸に組み込まれ済みで、影響が大きい。
・移行時に、人数が1.5倍になる学年が出てくることになる。

これらの理由を覆すほどの理由なのだろうか?

  海外の新学期に合わせたい

ということは。

例えばアメリカでは、プロスポーツ球団への入団は、大学を中退したり、プロとして少し活動しつつ、途中で大学を卒業するなど、みんな柔軟に対応しており、わざわざ合わせる必要性は皆無だ。
海外への留学や進学についても似たようなものだ。
海外では、ストレートで進学することについてのステータスは殆どない。
むしろ、英語教育に難のある日本では、英会話特訓などで半年のズレを有効に活用している人も多い。
また、これらのタイムラグを利用しての長期の旅行など、様々な使い方ができる。

  海外の新学期に合ってると便利

ということのメリットを、もう少し真剣に考えた方が良いだろう。
「ちょっと便利(に見える)」という以外、それほど大きなメリットがあるようには思えない。
(あったとしても、海外へ進学するごくわずかな人のためでしかない。)

そして、より重要な理由は、次の2つだ。

・コロナ後の世界は、グローバル化が衰退する可能性が高い。
・豪雨、台風シーズンに受験日を持ってくる愚かさ


コロナ後は、世界中の国々でグローバル化が見直されることになるだろう。
海外とのやりとりや行き来、グローバルな企業経営は、あくまで「できれば」というレベルに抑えた上で、足元である自国での事業をしっかりと確保しておかないと、今回のような時に、あっと言う間に経営が傾くことになる。
殆どの企業にとって、経営のセキュリティ上、過度なグローバル化は悪手である、という事がより認識されることになるだろう。
(巨大な世界的企業にすでになってしまった、ごく一部の会社はこれに該当しない。)

これからは、トランプの言では無いが自国への回帰が増えて来る時代になる。
その時代に、海外の新学期に合わせるメリットなど、微々たるものでしか無くなっていくだろう。
(そもそも、海外進学したいごく一部の人のためのメリットだ。)

そして、より重要なのは2つ目の理由だ。
実は、現在の受験シーズンである1~3月は、自然災害は比較的少ない。
せいぜい、北国での豪雪などで、列車が遅れるといった程度だ。
それはそれで問題だが、6~8月の自然災害の比では無い。

集中豪雨による水害、洪水。
そして強大さが増してきている台風被害。


6~8月にセンター試験、私大試験、国公立大試験など、たくさんの試験が設定されれば、毎年それらのどれかに影響がある事は、ほぼ間違いが無いくらいになってしまうであろう。
しかもさらにまずいのは、このような気象災害には地域差が大きい、ということだ。
例えば、試験数日前に沖縄に台風が来ても、本州には上陸しないことなどざらにある。
その場合、沖縄の受験生だけが受験できない、といった、極めて不利益を被ることになる。
このようなことは、現在の台風頻度から考えて、たぶんほぼ毎年に近いくらい発生する可能性すらある。
極めて大きな問題となるだろう。
海外進学したい人と、被害を受ける人と、どちらが多いか? はすでに明確であろう。


   想像力。

すべてはこれに尽きる。

今回のコロナ対応もそうだが、日本人は特に想像力が足りない。
想像し得ることは、いつかは必ず発生するのだ。
発生するとわかっていることは、すでに「発生した」ものとして扱うことが重要だ。
キチンと正しい未来を想像して、それを「確実な未来」として検討の中心に据えることが大切である。

大阪知事が言うように「9月新学期制を導入するこれが最後のチャンス」では、確かにあると思う。

9月にしたらどうなるか? 
想像力をキチンと発揮し、このチャンスをしっかりと棒に振って、このような愚策は、金輪際あきらめて欲しいものである。

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